うつ関連

【うつと戦うサラリーマン】私のうつ治療ヒストリー

タイトル

こんにちは、うつと戦うサラリーマンの”かわたく@kawatakukun”です。

私は現在うつの治療中です。そんな私がどんな経緯でうつになって、どうやって克服して来たかを年表形式でまとめました。同じようにうつで悩んでいる方やうつ予備軍の方の参考になれば幸いです。

メンタル低下期

2007年 6月 月100時間残業

仕事にやりがいもあり、ある意味充実した毎日ではありましたが、100時間の残業からくるストレスは計り知れませんでした。睡眠不足からメンタル面も少しずつ削られていきました。

ランク
ランク
働きすぎだにゃー

2008年 9月 リーマンショック

諸悪の根源とも言えるこのリーマンショックは私の人生を変える程の大事件でした。これにより会社の業績に影響が出て、会社の運営が大きく変わったことで、色々なひどい目に会ってきました。皆さんも多かれ少なかれ何かしらの影響を受けたのではないでしょうか。

会社の業績は悪化し、先行きが見えず、将来への不安しか感じなかった日々でした。会社内でも悪い噂が流れ始め、それが現実の物となってしまいます。

リーマン・ショックは、2008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した事象を総括的によぶ。 ウィキペディア

2012年 1月 東京事業所の閉鎖

リーマンショック煽りをうけて、私が勤務している東京事業所を閉鎖することになり、本社のある田舎の事業所に移転することになりました。

その際、会社が私の部署の人員を半分減らして違う部署に異動させるという構造改革を行ったのですが、これが大失敗に終わります。

異動させようとしたメンバーの大部分が受け入れ先が見つからず、どこにも所属しない状態になってしまいました。私もその中の一人でした。

2012年 4月 追い出し部屋に勤務

宙ぶらりんになったメンバーは一旦、人事部付きの扱いとなり、所属が決まるまである部屋に隔離されました。俗に言う追い出し部屋と言うやつです。

約半年もの期間を追い出し部屋で耐え忍びましたが、精神状態はボロボロで、うつへの階段を着実に登っていた時期でした。

追い出し部屋(おいだしべや)とは、日本の企業や団体の職場において、従業員・職員を「自己都合退職」(または懲戒解雇)に追い込み、「会社都合」で退職させないため配属させる部署。 ウィキペディア

2012年 10月 田舎にある職場に転勤

結局、首都圏では受け入れ職場が見つからず、とある田舎の事業所に転勤となりました。これが新たな地獄の日々の始まりでした・・・

うつ病発症期

2013年 1月 慣れない仕事でストレス蓄積

新しい職場では仕事の内容も全く変わってしまって、これまでのスキルが全く使えませんでした。やることなすことわからない事だらけでストレスばかりが溜まっていく日々でした。

2014年 1月 リーダーMによるパワハラ

新しい職場で上に付いたリーダーMが最悪な人間で、自分が正しいと思ったことは他の人もそうすべきだと言うような考えの持ち主でした。そんな考えなので思い通りに動かない私が気に食わなかったのでしょう。事ある毎に過度な要求やプレッシャーを与えて来て、出来なければ叱責するということを繰り返してきました。

2015年 4月 肉体的な違和感を感じ始める

思い起こせば、この頃から肉体的な違和感を感じ始めました。

具体的には、朝会社の門に向かって歩いていると胸が苦しくなってくるとか、朝居室に向かって階段を登ると息が苦しくなるとか。はじめは運動不足なのかなと思っていましたが、うつのサインだったようです。

なっち
なっち
できればこうなる前に病院に行こうね。

2015年 6月 リーダーMからの理不尽な言動でパニックに

ある日、リーダーMに呼び出されて自分からしたら理不尽な要求を突きつけられました。普段から無理難題を言われているので、たまり溜まった物もあったのでしょう。反論しようとする気持ちと抑えようとする気持ちがぶつかって、訳が分からないパニック状態になってしまいました。

流石にリーダーMも異変に気づいたのでしょう、話はそこで終わりました。しかし、私のパニック状態は収まりません。どうしようなかったので会社の保健室に駆け込み落ち着かせました。

2015年 6月 はじめてのメンタルクリニック

これはもう病院で見てもらうしかないと思い、ネットで近くに病院がないか探してみると、程よい場所にある良さげな個人病院を見つけることができました。予約制とのことだったので、早速電話でアポを取ると、なんと1ヶ月先まで埋まっているとのこと。なんて病んでいる人が多いんだと思いながら、予約を取った記憶があります。

この待ちの一ヶ月は一番辛かった時期かもしれません。症状は辛いのになんの対処も出来ず、只々我慢の日々でした。

初診の時は何かと時間がかかりました。診察前に問診票を記入したり、診察も症状や状況を事細かに答えたりと、1時間以上かかった記憶があります。

2015年 7月 抑うつ状態で長期休暇の診断

初診の時は薬を処方されて、まずは1週間様子を見るということでした。1週間では特に変化はなく、出社も出来ない状態だったので、長期休暇の診断がでました。診断書に書かれた病状は「抑うつ状態」でした。

この病気は薬も重要だと思いますが、十分な休養が一番効くというのが実感としてありますので、結果的に長期休暇の診断は本当によかったです。

かわたく
かわたく
無理して出社しても悪化するだけですよ。

リハビリ期

2015年 7月 3ヶ月の長期休暇

この長期休暇はうつの治療には本当に必要な期間でした。この休暇がなければ病状は更に悪化していたはずです。

2015年 7月 お薬の効用チェック

投薬治療の始めは色々なお薬を試しました。週一でクリニックに通っていたので、週ごとに薬の効き具合を確認し、自分にあった処方を見極める感じでした。

まるで人体実験でもしているかのようにお薬を試されましたが、これも自分にあった処方を見極めるのに必要な作業なので仕方ないですね。

2015年 7月 自立支援医療受給者証(精神通院)の交付

医療費の3割負担が1割負担になる、とってもありがたい制度になります。

自立支援医療(精神通院医療)とは、公費負担医療のひとつ。精神疾患の治療のため通院による精神医療を継続的に要する病状にある者に対して医療費の自己負担を軽減するものである。 ウィキペディア

2015年 10月 時短勤務開始(3時間勤務)

流石に不調の原因となったリーダMのいる職場に復帰させるのはまずいという事で、違う課に異動となり職場復帰を果たしました。

私の会社では長期休職者が職場復帰をする際に時短勤務を与える制度があります。それに該当するとのことで、最初の1ヶ月間は3時間勤務で昼前に帰宅していました。

この制度が結構良くて、休み明けの心と身体を慣らすのにはちょうど良かったです。正直3ヶ月の休職では抑うつ状態が治る訳がなく、まだ何もやる気が出ない状態だったので。

2015年 11月 時短勤務(6時間勤務)

職場復帰後2ヶ月目からは6時間の時短勤務で15:00くらいに帰宅する生活でした。

2015年 12月 時短勤務終了

職場復帰後3ヶ月目からは8時間の通常勤務に戻りました。

うつ病再発期

2016年 1月 慣れない業務でストレス蓄積

新しい職場に変わったということは、また新しい仕事を1から覚えなければならないという事で大変でした。環境にも慣れずストレスばかりが溜まる毎日でした。

2016年 11月 妻の癌が見つかる

タバコを吸うわけでもないのに定期健康診断で妻に肺癌が見つかりました。胸部レントゲンで普通なら見落としそうな小さい癌でしたが、担当医が見つけてくれました。定期健康診断でこのサイズの癌を見つけることができたのは非常に運が良かったです。正に不幸中の幸いです。皆さんも毎年きちんと健康診断を受けたほうが良いですよ。

手術で左肺の半分を切り取りましたが、幸い転移もなく投薬治療に移っています。このまま5年を目安に転移がなければ完治らしいです。このまま何事もなく完治することを願うばかりです。

ただ、妻のストレスもピークでかなり不安定な精神状態になっているのが心配です。

なっち
なっち
早期発見でよかったわね。

2018年 8月 リーダーからの過度なプレッシャーでパニック

次の日の報告会で発表する内容の打ち合わせで、リーダFに無理難題を言われ、明日までになんとかしろとプレッシャーをかけられたことでパニック状態に。

呼吸が浅く早くなり、心臓の鼓動も早く、胸が苦しい。また、頭が真っ白になり何も考えられない状態になり、誰もいなくなった夜の会議室でしばらく動けませんでした。

次の日は恐怖と不安でとても会社に出社が出来る状態ではなく、年休を取ってかかりつけのメンタルクリニックへ。

会社には課長に電話をかけて精神的に辛いと正直に連絡しました。課長は驚いていましたが、なんとかやり過ごしました。

なっち
なっち
無理はしないほうが良いわよ。

2018年 8月 抑うつ状態で長期休暇の診断書

かかりつけのメンタルクリニックに行き、会社に行けなくなった事、行くのが辛い事を報告しました。先生も驚いていたが、「しばらく休むか?」と言ってくれたので、素直に「はい」と答えました。

まずは、1ヶ月休んで様子を見ようとのことで、診断書を書いてもらいました。病状は「抑うつ状態」でした。

診断書を課長に提出して長期休暇をすることを伝えました。幸い有給休暇が貯まっていたので有給休暇を使って対応しました。

2018年 8月 1ヶ月の長期休暇

あっという間の1ヶ月間でした。相変わらずやる気は出なかったが、前回の長期休暇よりは頭がはっきりしている感じだったので、症状は軽い印象でした。

ランク
ランク
1ヶ月で復帰出来てよかったにゃー

2018年 9月 通常勤務開始

今回の休職は1ヶ月という短期間のため、前回のような時短勤務は無しで、いきなり通常の8時間勤務の開始となりました。

職場のメンバーは知ってか知らずか休みのことは何も言ってこない。それどころか仕事をバンバン投げてくる始末。忙しいのはわかるけど、こんなものかと落ち込む日々が続いていきました。

心機一転復調期

2018年 10月 昔の職場に異動が決定

私の会社では社内公募と言う制度があり、人員が欲しいと職場が募集をかけることがあります。そこで藁にもすがる思いで社内公募のサイトを覗いてみたら、なんと昔の職場が募集をかけているではないですか!

自分が動かなきゃ何も変わらないと思い、見つけたその日のうちに上司に許可を貰い、応募してしまいました。その甲斐あってか面接もすんなり通って、無事採用されることが決まりました。

採用が決まった途端、心が軽い!こんなにも気持ちが変わるものなのか、自分でも驚いています。

かわたく
かわたく
久々に前向きな気持になりましたよ。

2018年 11月 ブログの開始

今まで何もして来なかった分、急に何かを始めたくなってきました。そんな時にたまたまブログのやり方的な記事を見つけて、色々調べている内にブログをやってみたくなり、気が付いたら独自ドメイン取って、レンタルサーバー借りて、ブログを始めてました。

2019年 1月 昔の職場に異動

仕事の勝手が分かるというのは思いの外、ストレスがなくて助かりました。6年程離れていた業務にも関わらず、やり出すと以外に覚えていて自然と体が動くのが嬉しいです。こんな気分は久しぶりです。

メンタルの調子も良く、回復の方向に向かっているのが実感としてあります。処方されるお薬の量も減ってきましたので、このまま何事もなく治ってくれるのを祈るばかりです。

ランク
ランク
大丈夫!なんとかなるにゃー

明るい未来へ・・・

なんとなく思いつきで書き始めた私のうつヒストリーですが、見返してみると色々ありました。本当は思い出したくもない記憶なのですが、忘れたくても忘れられないものですね。いつかは笑い話の様に出来たらうつを完治したと言えるのでしょうか。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

皆さんの明るい未来を願いつつ・・・

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